日本における酒造りの歴史は、弥生時代（紀元前10世紀～3世紀中頃）にさかのぼります。稲作の技術が中国から伝来した後、米を口の中で噛み、唾液に含まれる酵素で酒を造る「口噛み酒」から始まり、米を原料とした酒造りの文化は数千年続いてきました。日本酒の原料は米、水、麹とシンプルですが、気温や水、そして蔵人の腕によって全く違う風味の酒が出来上がります。陳さんはそんな日本酒の奥深さに魅了され、酒造りの世界に飛び込みました。

大学で広告を学んでいた陳さんは、台湾で日系企業に勤めた後、2008年に日本に留学。以前から日本神話に興味があったため、留学先に島根を選んだと言います。留学中、陳さんは島根の地酒に出会いました。「少し辛口で、後味がフルーティーですっきりしている。その香りと味わいは、私が知っていた日本酒とは全く別物でした。」その時の感動が、陳さんと日本酒との深い縁の始まりです。陳さんは日本語の勉強に励みながら様々な銘柄を飲み比べ、「獺祭」の蔵元「旭酒造」（山口県）のインターンシップに自ら参加して酒造りのすべての工程を体験。卒業後、海外営業として旭酒造への入社を果たしました。

少しでも早く日本酒の製造過程を覚えるために、陳さんは入社１年目から酒づくりの現場を回り、洗米・精米・発酵・調和と、日本酒が出来上がるまでの工程を勉強しました。２年目には満を持して輸出業務に携わりましたが、「獺祭」は当時爆発的な人気で生産が追いつかず、海外に売ろうにも在庫がない状態だったと言います。

力を発揮し切れずにやるせない気持ちになった陳さんは仕事を辞め、一度日本酒の世界から遠ざかりました。しかし、酒造りの面白さが忘れられなかったため再び島根へ戻り、李白酒造で本格的な修業を始めました。「高温・多湿の麹室で蒸米に麹菌をまく『種きり』の作業を何度も何度も繰り返し、麹を触るだけで仕上がりの良し悪しがわかるようになりました」と、決して楽とは言えない修業の過程を振り返ってくれました。陳さんはその後も酒造りの研鑽を続け、５年後に国家資格である「酒造技能士」に台湾人で初めて合格し、酒造りの職人になる夢に一歩近づきました。

修行を重ねるうちに「自分ならではの日本酒を造りたい」という思いが強くなった陳さんは、「台中６５号」という米の存在を知ります。台湾の日本統治時代、「台湾蓬莱米の父」と呼ばれる農学者・磯永吉と助手の末永仁によって開発された台中６５号は島根原産の「神力」と兵庫原産の「亀治」を交配させたもので、酒造りに使われたことはありませんでした。陳さんはそんな台中６５号の酒米としての可能性を直感し、すでに栽培されていないこの幻の米を復活させ、酒造りに使うことを決意しました。

やっとの思いで種籾を手に入れた陳さんは試行錯誤をしながら米作りに取り組み、台中６５号を使った酒「台中六十五」を完成させました。完成以来、台中六十五は毎年異なる酒蔵で、異なる水、異なる蔵人の手によって造られています。その特殊な醸造スタイルはNHKに取材されたほか、世界で様々な賞を受賞しました。2021年、陳さんは島根に「台雲酒造」を設立し、小規模ながら個性的な新作を丹精込めて造っています。

日台の多くの人の助けによって完成し、「日台ハーフ」とも言える「台中六十五純米吟醸」には、梨やバナナのような甘味と香りがあり、陳さんの台湾人としてのルーツをも感じさせる味わいです。陳さんは現在、台湾人に島根県と日本酒をより深く知ってもらうために観光大使「島根県遣島使」に就任したほか、台湾人を対象とした酒造り体験ツアーなども企画しています。酒造りを通じて日台の架け橋になるという夢の実現に向けて、陳さんの挑戦はこれからも続きます。

台雲酒造
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